その夏、県選抜で行った試合合宿。行き先は千葉県の習志野高校。それが僕と本田先生との出会いでした。
仙台で生まれ育った僕に、関東の夏はカンカン照りで暑く、グラウンドのすぐ横には国道。綺麗に整備されたグラウンド、エンジのユニホーム。僕にはどれもまぶしく見えました。
その中で一人、一際存在感を放っていたのが本田先生で、式台の上にパイプいすを置いて、上半身裸で腕組み、サングラスをして顔も体も焼けて真っ黒・・・。最初は、え?あれが監督?と思ってしまうほどの圧倒的な存在感を今でもはっきり覚えています。
かといっても中学生ながら宮城県の中では強豪と言われる高校生にもそう簡単には負けることはなかった精鋭たち(僕はサブでしたが・・・汗)やってやろうと意気込んで挑んだ3日間・・・が、しかし結果は惨敗。何とか3日間で何点か取ったのが精一杯で、何倍もの点を入れられて関東のレベルの高さを見せ付けられました。しかも点を入れられたことで逆に高校生たちはその分走らされているではないか、強い上に厳しい。ん?厳しい故に強い、かな?まぁ、とにかく僕は仙台に帰るなり、お土産話よりも前に、半分無理を承知で、習志野高校のようなところでサッカーがしたい!と母親に話していました。
それから数日後、県選抜のスタッフからの電話。なんと習志野に行かないか?とのこと、最初は夢か奇跡か?と思ったがどうやら現実のようで、なにやらとんとん拍子に話が進み、気づいたら入学直前。と、一気にそこまでいってしまったような気がします。
話が来たときに、僕は迷わず行きたいといいました。しかし、お金も普通以上かかるし、何より県外。一筋縄では両親も認めてはくれないだろうと思っていたところ、以外にもあっさり「いいよ。」って、え?いいの・・・?そんな話になる前にぼくが習志野に行きたいだのなんだの言ったことが効いたのだろうか?なんにせよそういうとこは理解のある両親でした(笑)
中学時代や高校時代。
ここでは書きつくせません。ただサッカーだけじゃなく人間としてどんな人間を目指すべきか、はたくさん本田先生に教わりました。ほんとうに厳しかったけれど、今ではすべてがいい思い出です、あのころは厳しさに食らいつくのが精一杯でしたが、今大人になって話してみると、生徒のことをすごく考えて、大切にしていることがわかりますね。
そして今があります。たくさんの人に教わり、支えられ、応援されてるからいまこうしてやれているので、もちろん自分自身のことですが無責任にはできないなと思います。
その後大分トリニータへ入団します。そして、、、今。